医療大麻の父、デニスペロン

🍄この記事は3月3日にフェイスブックの「大麻合法化したらこうなった」に掲載したものです。写真:Meadow


現在世界の各地で医療大麻が合法化されています。ドイツ、スペイン、カナダ、オーストラリア、韓国、フィリピン、タイ、イスラエル、オランダ、ウルグアイ、チリ、コロンビア、チェコ共和国、さらにその数は年々増え続けています。

アメリカで医療大麻が発足したのは1990年、デニスペロンというゲイの男性がパートナーをエイズで失くし、その治療に使った大麻を他の患者にも解放するように運動したのがきっかけです。

デニスペロンは1946年の4月ニューヨーク州のブロンクスで生まれました。父親はコンピュータープログラマー、母親は専業主婦。17歳の時初めて大麻を経験。そして空軍に従軍してベトナム戦争に参加。ベトナムから、ダッフルバッグに2パウンド(約1キロ)の大麻を忍ばせ、サンフランシスコに降り立ったデニスはゲイが集まるキャストロの街でレストランを開きます。ベトナム戦争の後ヒッピー文化真っ只中のサンフランシスコ。ロングヘアーのデニスはレストランの奥で大麻を売り、店は繁盛しました。これが彼のその後40年にも渡る大麻キャリアの始まりでした。

コミューンに住み、大麻を吸い、販売するヒッピーライフを楽しむ中、何回も逮捕され、警官に足を拳銃で撃たれたこともあります。200パウンド(約90キロ)の大麻所持で刑務所にも入りました。

そして80年代後半からアメリカではエイズが蔓延。キャストロ街の住人の多くが感染しましたがゲイへの偏見のため病院の医者達は彼らを見放し、多くの患者が亡くなりました。そしてデニスのパートナーであるジョナサンウエストもエイズに感染。薬の副作用で嘔吐が絶えず、病気の痛みで苦しむ中、大麻を吸うことによって苦しみが緩和されることに注目したデニスは周りのエイズ患者に無料で大麻を配り始めます。これが医療大麻合法活動家デニスペロンの誕生です。

1990年のある晩、警察はデニスとジョナサンの家を家宅捜査し4オンス(112グラム)の大麻を発見。デニスは逮捕されましたが、その大麻は売るためではなく、ジョナサンの治療のためと主張。6ヶ月に渡る裁判の結果、無罪と認められましたが、2週間後にジョナサンは亡くなりました。これをきっかけにデニスは他の運動家と共に、患者が刑罰を受けることなく、合法的に医療目的に大麻を栽培、所持できるよう市に訴えかけたのです。

すると翌年1991年、サンフランシスコ市は医者が大麻を処方することを認め、患者が大麻を栽培、所持できるようになりました。これがアメリカでの医療大麻合法化の始まりです。その後、デニスはSan Francisco Cannabis Buyer’s Club (大麻を販売するディスペンサリー)をオープン。癌やエイズ患者が安心して大麻を購買し安らげるコミュニティの場を提供しました。

その後も活動は続き1996年にはカリフォルニア州全体が医療大麻を使えるよう提案215を上案。住民票で5億3千万票を得て(反対派4億3千万票)、勝利となり、アメリカで初めての医療大麻合法化がなりました。これはデニスの活動のおかげであると言っても過言でなく、デニスペロンが医療大麻合法化の父と言われている所以です。

そんなデニスが2018年1月27日にサンフランシスコで亡くなりました。71才突然の死で地元のカナビスコミュニティーは大変な悲しみに包まれました。彼の活動がなかったら今自分達が恩恵を与かっているこの医療大麻は在りえないと、皆が知っていました。彼のメモリアルに集まった仲間たちはデニスがいかなる時にも諦めなかった姿勢を讃え、デニスがもっとも大事にしていたcompassion (思いやり、慈悲の心)を忘れていけない、と誓いました。

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